陶芸家・森野知子工房のブログ

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身内ネタですが

前回の続きです。
マラソン大会を後にして向かった先は、同朝来市生野町の生野銀山。
9世紀初頭の開坑といわれ、佐渡金山、石見銀山と並び三大鉱山として、
織田・豊臣・徳川幕府の直轄地でした。
生野から東に峠を2つ越えたところにわたしは住んでいるのですが、
わたしの住む多可町も生野奉行所の管轄内で、幕府の天領地だったのです。
なぜ生野を訪ねたかというと、わが森野のルーツが生野なのではないか?
という噂が昔から一族内にあったので。
究極の身内ネタですので、興味のない方はスルーしてくださいませ。

子供の頃何度か耳にしたこの話を、春のそらまめさんのイベントの時に久しぶりに聞きました。
大人達が話していたのを、またいとこ達も覚えていたんですね。
でも確かな証拠はないんだな。10代前ぐらいまでさかのぼると、そこから先は記録がない。
(お寺の火事で過去帳も消失してしまったので)

またいとこの内の一人が、生野の森野というお墓を訪ねたという話を聞き
わたしも父が元気なうちに確かめに行ってみよう、ということで生野に行った次第です。
教えてもらった銀山の廃坑跡近くの墓地を訪ねましたが、
15年ぐらい前にはあったというお墓はもうありませんでした。

現在、史跡生野銀山という観光施設となっている金香瀬(かながせ)に対して、
森野さんのお墓があったとされる白口(しらくち)は、
細い坂道を挟んで両方から山が迫る狭い谷合の地形。
そこにはかつて、白口千軒といわれ3000人が住んでいたというほど
銀山の隆盛期には栄え賑わっていたのだそうです。(ちょっと想像つかないような狭く急な地形)
朽ちた廃屋などの残る集落に、今も数軒住んでおられました。

史跡生野銀山の案内係りの方で、白口地区に詳しい方がおられるとのことでしたので、
また話を伺いに行きたいと思っています。
はたして初代森野は本当に生野から来た者なのか、
会って話を聞いたところで確かめる術もないのですが・・・
以上またいとこ達に報告です。

c0202613_0122451.jpgc0202613_012392.jpg墓地近くに「熊に注意」の看板。
流域には滝が点在しハイカーも訪れるようです。

大きな無縁塔がありました。
銀山で命を落とした人たちの供養塔でしょうね。
by tomoco9595 | 2013-07-08 00:49 | おでかけ | Comments(2)